浅田彰氏の、 「かくも幼稚なる「現代芸術」 という文章への反論を書いてみました。最近(国内で)急に評価の高くなった 奈良美智さんですが、こういう文章を書いている方もいる。ということで読む 価値はあるでしょう。(音楽で言えば、奈良さんのスタイルは吉松隆的、みた いな・・・違うか?)判断は両方の文章を読んでから下してください。
(注:この文章(私の)は某掲示板での浅田彰氏の文章の紹介に対して書 いた書き込みです。けっこう出来がいいなと思ったので掲載しました。ご了承 ください)
さておき。横浜美術館へわざわざ田舎から出向いた私は・・・。横浜トリ エンナーレには行ったのかね、浅田氏は。 (少なくとも、平日であるにも関 わらずあれだけの賑わいを見せている現代芸術というのは他に類を見ない。特 に子供が多かった!)
>ただ幼児的な欲望の稚拙な垂れ流しがあるばかりだ
というのはあまりに短直すぎる。表層的なところしか見えていない。人に よっては、奈良美智の絵はいわゆる「反動」の ようにも見えなくもない。た だ、表現に使用しているデバイスが少女等なのであって、あくまで、村上隆が 「スーパーフラット」 をデバイスとしているように、デバイスのさらに先の 深層が潜んでいる。ここが見えなければただのラクガキと言われても 仕方な いが、(知人の画商は奈良美智の絵をそう評した)それが見えない人間に同じ 感性を求めるのがそもそも無理なのかも しれない。(ただし、悪口を言われ ると腹が立つ)
戦略、という面で見れば、奈良美智はあまりに考えがない、とは言える。 奈良美智をメジャーにした小山登美雄ギャラリーの存在は 大きい。(しかし、 その小山氏は同時に村上隆もメジャーにしたということを考えれば、浅田氏の 奈良美智に対する 評価はあんまりではないか?)しかし、絵に専念する、と いう意味では奈良美智の方法は正解と思える。その対極にある のが村上隆の 「スーパーフラット」である。村上隆は商業的・戦略的にもあらゆるところに 視線を張り巡らせ、 彼を支える大勢のスタッフを統括し、なおかつフロント に立ちつづけるという、現代では稀有な人物であると考える。
例えるなら、村上隆は映画監督であり、奈良美智は古典的画家である。 (村上隆展、奈良美智展の両方をしっかり見れば よくわかると思う)奈良美 智は古典的であるが故に、従来の評価基準で測られがちだが、柔軟性を欠いた 評価基準に 囚われる方が問題なのであって、評価基準を柔軟に構成し直すこ とが(特に日本の)美術関係者には必要なのではないか?