この疑問に答える前にまず、私がこのようになった前に自分の性格やど んな子供だったかということを書こう。うちの実家は水商売、正確にはそうで ないが、その類の商売をやっていた。子供心にそんな商売が好きなようで、嫌 いだったような気もする。特によっぱらいなどを間のあたりにするのは最悪だっ た。今でもよっぱらいは嫌悪しているものの一つである。
そして当然ながら学校に通う。幼稚園、小学校、中学校、通じて私はイ ジメられていた。今のイジメと比較はできないが、私は最悪な生活を送ってい たことは確かだ。ただ陰湿でなく、普通に接っされている時間もあったの唯一 の救いであろう。
そして高校、1年の浪人期間を経て大学に入学した。この間はかなりシア ワセだった。音楽のページを作るくらいに音楽にひたっていたような気がする。 高校の時は勉強もそれなりにしていた。一応国立大学には行っている。大学の 時はほとんど勉強してなかった。自由と音楽にひたりすぎていた。彼女もいた。 今考えても確かに幸せな期間だったと言える。
大学では勉強していなかった。当然ながら留年ということになるのだが、 音楽(オーケストラ)は4年という制限があり辞めざるを得なかったし、これ以 上勉強する気もなかったし、そして第一に働きたかった。「勉強はやりたくなっ たらまたやればいい、そう思えなければそんなに好きじゃなかった、というこ とだ」と考えていた私は大学を辞めた。中退。これが社会からのドロップアウ トの第一歩だ。
たまたまコンピューターでネットワーク関係に少し知識のあった私はす ぐに仕事にありつけた。ただしこれれは運が良かっただけだと今では思う。仕 事をすることは大切なことだと思っていたし、仕事自体不平不満を言うような ものでもなかった。私はいっしょうけんめい働いた。ただし、自分自身として はできるだけプライベートと仕事は分けて、なるべく仕事にのめりこむ、ワー カホリック状態にならないようには心がけてはいた。
いつものように電車で自分の部屋に帰る時のことだった。「(電車に)飛 びこみたい!」そんな気持ちが私の頭に走った。「なにかおかしい」そう思っ た私はホームから数歩も後ろずさった。じきに、その衝動は何度続くようにな り、今度は踏み切りの前でも、大通りで車が走る前でも「飛びこみたい」とい う衝動が自分を襲うようになった。そして、通勤の電車の中や、街を歩いてる 際に誰かをなぐりつけたい、という衝動に襲われたり、朝は頭が重く会社に行 くのがイヤでイヤでしょうがなくなっていた。
「これはヤバい!」と思った私はうつ病に関する本を読み(うつ病ではな かったのだが)、色々考えた末東京に逃げた。東京を選んだのは当時弟がいて、 弟をたよりにしていたのである。このころには、「自分が死にたいのか死にた くないのか」ということすらよくわからなくなっていたと思う。東京では弟が 手厚く迎えてくれた。そのおかげで救われていたと思う。そこで色々考え、そ して実家に戻り、精神科クリニックの門を叩いたのである。