コンピューターと自己


コンピューターについて色々書くにあたって、その意義・意味を問うてみ よう。

あるUNIX管理の手引書に「UNIXの管理というものは一概にこれという方法 はない。それぞれのサイトによってポリシーがあり、それに適応することが大 切である。また、UNIXの設定は管理者の個性が色濃く反映され、また一概にベ ストの方法があるわけではない。」といった内容の記述があった。これは実は 誠に真実を突いていると思う。特にUNIXでは設定ファイルの書き方、置き場所 などがプログラムの作者によって違うし、それを変更することも出来る。ファ イル配置が一意のUNIX(*BSD、Solaris等々)はまだ既定のファイル位置が決まっ ているからいいものの、Linuxの様に様々なディストリビューションが存在す る場合、それぞれのディストリビューションによって設定ファイル、設定ツー ルが異なるという事態が発生している。そのため、Linuxについて質問する時 はディスとリービューションを添えるのが定例となっている。

実は、システムの設定方法が共通であるWindowsでもこのようなことがある。 初心者はプレインストールのまま放って置くことが多いし、再インストールに リカバリディスクが必要なことも多く、一般的にはあまりそのようなことは見 えない。しかし、ある程度パソコンというものに慣れてくればより効率の良い 設定方法を模索するようになり、ファイルの置き方等々にも気を使うようにな る。(特に自作派の人間のマシンには個性が表れやすいように思われる)

一般的に、あまり人間的なイメージのないコンピューターだが、実はコン ピューターという物は、自己を投影する鏡であり、扱う人間の個性が反映され るものなのである。逆に言えば、コンピューターの設定を見ればその機械を使っ ている人間の性格や、環境、その他色々が見えてくる。不思議なことに、機械 は人間の個性の受け皿になっているのである(*1)。

そこで、自己表現のデバイスとして、「コンピューターの設定」というも のを用いてみるのはあまり過去に例がないのではないかと思う。そもそも、コ ンピューターの設定はしばしば口伝であり、ホームページ等でパソコンの設定 等について触れられていても誰にも共通なことであったり、ごく一部のプログ ラムについての説明であることがほとんどである。ここで、あえて、コンピュー ターの扱い方を個人的な主義思想に基づいて体系的にまとめ、そうすることに よって自己を見つめなおすと共に、自己を他者から評価してもらえるのではな いか、と期待しつつ文章を書いていくものである。


*1 : そもそも、私はコンピューターの進化のゴールは人間であり、長期的将来には 人間とコンピュータが1つのものになると考えているので、これはごく自然な ことと考える。


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